12/5(日)肌寒く時折小雨がぱらつく中、58名の方が参加して加茂の歴史をたどるウォーキングパート2を開催されました。

環境部の大田さんからのご報告です。

手元の古地図を見ながら、加茂ふれあい会館の位置を確認。この場所は戦時中は日本陸軍の軍用地であった。その後4班に分かれて出発。進路を北へ。川西市と宝塚市口谷との境界の小径、農道を歩く。加茂の地名の由来といわれる『鴨部祝(かもべのはふり)』の古墳があったとされる場所(はっきりとした場所は不詳、焼肉屋のあたり) から 、京・伏見街道を西へ、 旧日本陸軍の宿舎(通称官舎)があった旧平塚地区を歩く。 京・伏見街道は、安土桃山時代、宝塚の小浜宿~有馬温泉にいくため太閤さん(豊臣秀吉)も千利休も通ったのであろう重要な街道であった。

再び進路を北へ、市境をかすめながら南花屋敷3丁目へ。南花屋敷は住宅地として昭和4年に売り出され昭和8年に桃林会(現南花屋敷自治会)が結成された。往時は南花屋敷八景といわれるほど自然豊かな土地であり、また花屋敷の南にあるため南花屋敷と名付けられた。坂を下り口谷川を渡る。最明寺川・口谷川に囲まれた場所は、昭和40年に「国土建設」が 開発した地域であり、川西市側は国土南花屋敷自治会となっている。最明寺川北側は西之芝・廣田と旧字名が読み取れ、現在の自治会名となっている。

最明寺川はかつて西明寺川といわれていたとのこと。鎌倉時代、将軍執権北条時頼が鎌倉の最明寺で入道して僧籍に入り、この地の西明寺を訪ね逗留してから、寺の名前を最明寺に、川の名前も最明寺川になったとか…また古は寺畑・栄根地区と宝塚との間で川底が低い高いで水利に関する裁判があったとか…その他、寺畑・栄根の地名の由来についても調べることができ、良い勉強になりました。

また最明寺川は少し下流で猪名川にそそいでいる。猪名川の源流は猪名川町大野山であり本流の延長は43kmの一級河川である。

いったん南花屋敷中央会館にて小休憩をはさみ、南花屋敷2丁目の達龍の祠をみて、栄根霊園(小墓)から坂を上りゴールの鴨神社へ。おおよそ4キロ弱の道のりを2時間ほどかけて地域の歴史をたどってあるきました。

参加者のみなさんお疲れさまでした。コミュニティ会長はじめ各専門部長委員長さんには、資料作成やコース案内等お世話になりありがとうございました。お礼申し上げます。